5月30日、31日と東京土建渋谷支部設計分会のメンバーたちと奈良を訪れた。行ったのはAさん夫妻、男性のSさん、女性のSさん、そして我々夫婦の6人。
旅の手配は関西出身という理由だけで全て女性のSさんにしてもらった。
30日朝6時半過ぎに品川で「ひかり」に乗り一路京都へ。京都から近鉄の特急で大和西大寺駅に9時45分に到着。シャトルバスが出るまでは間があるので平城宮跡まで歩くことにした。ただ一緒に歩く人が多いのにはびっくり。
平城宮跡に着くと売店や案内所などの仮設の建物があり、駐車場も車で埋まってどこかのテーマパークに来たみたいだ。
私が初めてここを訪れたのは朱雀門が復元された直後だった。妻も一緒だった。広々とした宮跡に朱雀門だけがぽつんと建っていた。原を吹き抜ける風が寒かった。
次に訪れたのは東京土建の企画で第一次大極殿の復元工事を見学するためだった。大極殿は大掛かりな免震装置がある基礎に乗っている。その装置も見学した。
一方すぐ脇に建てられた作業場では槍鉋で柱を仕上げる人たちや、天井を埋める絵を描く人たちが働いていた。
会場でガイドに案内を申し込んだ。ただ順番がくるまで1時間ある。そこで東の端にある東院庭園に行ってみることにした。
朱雀門の前から東へと500mほど歩いて行き、適当なところで北上して近鉄の踏み切りを渡った。ここまで来ると人は少なくなり、古の静けさに浸りながら遠くに大極殿を見ながら歩いて行く。
朱雀門の方を見たが近鉄の線路の架線がなんとしても邪魔だ。
地下を通したらいいのにと考えがちだが、そうすると大切な水脈を切る怖れがあるのだそうだ。
東院庭園を囲む塀が見えてきた。
しかしこの時点ですでに30分近くを費やし、ガイドが始まる時間に間に合わせるために中を見ずに引き返すことにした。
探訪ツアーセンターの建物内にある朱雀の間にはすでに十数人の申込者が集まっていて赤いベストを着たガイドの説明が始まっていた。我々も赤いタスキとガイドの声を受信する器具を渡されていよいよ出発。
まず復元された遣唐使船を見る。
船上は左から留学生の部屋、食堂、引率の高官の部屋だそうだ。船腹外側には接岸の際のクッションとなる太い竹を束ねた上に板1枚の床があり漕ぎ手はここで櫂を漕ぐ。
体は船に縛っているのであろうが、波を被り続ける過酷な労働であったであろう。
ただし復元が正確であるならという条件がつくが。
帆は竹を編んだものが使われていたらしい。
(次のブログに続く=ここに書き足していくと、追加の内容を読むたびにスライドさせなければならず
お手数をかけるので)