三国志では劉備に対する悪役として登場する曹操だが、実際はかなり知略と行政手腕に長けた指導者だったらしい。吉川英治も小説「三国志」を書き進むうちに魅力を感じたと言っていたようだ。
曹操が劉備と周瑜の連合軍に大敗した赤壁の戦いの古戦場はいまや観光名所で有名であるが、そのときの諸葛孔明の働きはやや誇張されているようだ。
その曹操の墓と思われる遺構を調査していた中国の調査隊がこのほど60歳くらいの男性の人骨と「魏武王」という文字が刻まれた石碑を発掘した。
曹操は魏を建国した人間であり「魏武王」と呼ばれていたことや没した年齢が一致しており、この墓が曹操のもので人骨は曹操自身のものではないかと思われるとのことだ。
名を残している人物のミイラや人骨が発見されると、あらためてその人物が活躍したはるか昔に思いを馳せてしまう。