19日、20日と東京土建の建築研修旅行で東北地方の陸前高田市と平泉を訪れてきた。
19日朝は新宿を7時半出発なので前日は日野の妹宅に泊まる。
19日7時半、参加者33人はバスで新宿を出発して東北自動車道を一路北へと向った。
13時20分に一関ICで自動車道を降り、一般道を東へ向い陸前高田市を目指す。
やがてときおり立派な造りの家が見られるようになってきた。
両側に雪のある細い山道で峠を越えて下って行くと景色は一変した。
赤い鉄道の鉄橋が途切れている。
見渡す限り海まで何もない。
ここには家々が建ち並んでいたのだそうだ。
途中の高台には仮設住宅があった。
写真には撮れなかったがこの先にプレハブ造りの商店が建ち並ぶ。
やがて被害を受けてはいるが津波に流されずに残っている建物が現れてきた。
がれきの山が随所にある。
数万本の松林が全滅したあとに残って奇跡の松といわれた1本の松も残念ながら枯れてしまい
今は幹だけが立っている。
赤く点いた歩行者用の信号の右の遠くに見えるのがその松である。
被害を受けた建物が次々と現れる。
海から離れた場所なのに二艘の船が横たわっている。
このあとの写真は、気仙大工左官伝承館などを見学したあと、帰りの夕方に撮ったものなので、
光線が違うが悪しからず。
5階建てのアパートも、津波が4階まで到達したことを物語っている。
ここにはかつて町があったのだ。
しかし少し高い場所には元のとおりの生活が残っている。
けれど町が消滅してしまったので以前のような生活を続けることはできないようだ。
荒涼とした光景を開いた口をふさぐのも忘れて見つめていると、目の底から自然に熱い涙が
こみ上げてきた。
テレビの画像では何回も見た光景であるが、実際に目の当たりにするとその迫力は全く違った。
「被災地の方々にはお見舞い申し上げます。一刻も早い復興を願っております。」などの決まり
文句を聞いていると無性に腹が立ってきたが、まさにこの光景を見ているとその感を強くした。
しかしここで生活している人たちは打ちひしがれていない。普通の生活を始めている。
同情や励ましの言葉よりも実際に何が助けとなるかを考えたほうがよい。