9月9日、雨。
昨夜から雨が激しく降っている。敷地脇を流れる、いつもは水が少ない
遊歩道沿いの沢も増水し、飛び石伝いに渡れる道も速い流れに覆われ
渡るのは危険な状態だ。
さて9月6日のブログで、孤立していた鼓門と書いたが、6年前の写真を
見ると、このときすでに鼓門はガラスのドームで駅舎につながっていた。
私の思い違いである。
ところで昨日は朝から9月2日の行動を書いていたのだが、途中で席を
立つときにうっかりPCの電源を切ってしまった。行程の2/3程を書いた
ところなのでショックでそのあと書く気がおこらなかった。気をとりなおし
今日書くことにしたが、内容は昨日よりもかなり簡略にする。
9月2日はホテルを出てまず金沢城に向かった。隣の兼六園の駐車場に
車を停めて石川門に向かう。
ここを抜けると河北(かほく)門が見えてくる。
6年前、私を含めてこの日のメンバーの何人かはこの門の解体修復現場を
見学している。(左の「以前の記事」の2009年2月を参照)
門の屋根は確か高岡の瑞龍寺の仏堂と同じ鉛瓦である。ヒノキで瓦型を作り、
それを鉛で覆ったものである。なぜそのようなことをしたのかには諸説がある。
例えば寒い冬には焼いた瓦では割れてしまうからだという説があるが、では
なぜすべての瓦をそうしなかったのかと思う。いざ戦になったときに鉛は鉄砲の
弾になるからだという説もなにもわざわざ瓦にしておかなくてもと思うし、真相は
わからない。瑞龍寺では仏堂の屋根だけが白く、美しかったが。
城を出て雨のなかを兼六園をぐるりと歩き、駐車場にもどって21世紀美術館に
向かった。美術館の地下に車を停め、隣接する金沢市役所の食堂で昼食と
する。役所の食堂は安いが味には当たり外れがある。ここのは当たったとは
いえない。
さて21世紀美術館に入ろう。私が好きな美術館である。
直径113mのガラスで覆われた円形の建物で、訪れた人に開かれた感じを
与えている。
設計は妹島和世(せじまかずよ)と西沢隆立衛(にしざわりゅうえい)が作る
SANAA(サナア)という設計組織である。今までの活動や設計した建物が、
建築界のノーベル賞といわれているブリッカー賞を初めいくつもの賞を
受賞している実力者である。
フランスのランスに建ったルーブル美術館別館の競技設計では、新国立
競技場の競技設計で一位となったザハ・ハリドと首位を争い、SANAAの
案が採用された。今回の新国立競技場でも首位を争ったといわれている。
美術館の中で好きなのはジェームス・タレルが作ったブルー・プラネット・
スカイ、通称タレルの部屋である。11m角の部屋の高さ8.5mの天井の
真ん中に5.6m角の穴が開いており、空が見える。穴の縁には厚さが
ないのでまるで天井に貼りついたスクリーンのように見える。流れる雲、
たまに横切る鳥などを、御影石のベンチに座って少し斜めになった壁に
寄りかかってながめていると、時のたつのも忘れてしまう。
そのほかに中庭のプールをのぞくと水底に人がいる。
そして自分も水底にいる一人になることができる。
そのほかおもしろく、そして考えさせる場所がいっぱい設けられていて飽きない。
そのあとは東茶屋街に向かった。
ここも私が好きなところで、中に入ることができる志摩の土壁の赤や薄墨色や
淡い若緑色のなんともいえない美しさ、旧中や(現お茶屋文化館)の奥にある
小部屋の群青色の壁の美しさは何回訪れても見飽きない。
このあと、金沢を後にしてこの日の宿がある山代温泉に向かった。