6月25日、晴れ。今朝の気温は18℃。
今朝の気温が高かったこともあって窓を開け放して風を入れている
室内の日中温度は25℃にもなった。ここは標高1070mだからだが
平地ではおそらく30℃を越えているだろう。
6月19日、旧甲州街道の旅はいよいよ上野原市の犬目宿へと入る。
ここからは富士山の眺めがよいそうだが、あいにくこの日は霞んでおり
富士の姿はない。
葛飾北斎は富嶽三十六景で甲州犬目峠からの富士を描いている。
天保7年(1836年)の大飢饉で餓死者が続出した際、犬目村の兵助は
甲州一揆を首謀し、家族に類が及ぶのを避けるため妻への離縁状などを
ししたためてその後逃げ、維新後まで逃げ切った。その生家跡もあった。
兵助はその後犬目に戻り家族とひっそりと暮らしたともいわれており、
その墓もあるとのこと。
しばらく行くと矢坪坂の古戦場跡の標識があった。
1530年、北条軍が甲斐に進出し、武田の家臣の小山田勢が迎え撃つも
敗退したとある。その後はどうなったのであろうか。
ところで我々は県道を歩いて来たのだが旧街道はここまで山道を来る
標識があった。そういえばここまでの途中に石畳道への標識があった。
先行者はこれを見逃したのか、あるいはこれから先の距離を考えて
スルーしたか。
ここから中央道を越えてそれ沿いの道を歩く。
防音壁が延々と続くが、タイヤと路面との摩擦音は防げていない。
左に「萩野の一里塚跡」の標識を見る。
その先で中央道をくぐり車の騒音を後ろに野田尻の宿へと歩いて行く。
(7月4日のブログに続く)