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2006年7月29日から8月2日まで山形、新潟、福島県境にある飯豊(いいで)連峰を妻と二人で歩いてきました。
実は看護師の妻が出発前日に職場で腰を痛めて帰宅。急きょ幕営はとりやめ全て小屋素泊まりに変更、荷物の配分も私が20Kg強、妻が10Kg弱になるようにし、妻は腰にコルセットをしての出発となりました。 というわけで妻の腰を気づかいながら、久し振りの重たい荷を背負っての登山はゆっくりのんびりですのでコースタイムは足に自信がない方の参考になると思います。 天気は梅雨が明けないものの前線は南に下がり小康状態になると判断しました。 7月29日 東京駅から「つばさ」で米沢まで行き米坂線で小国駅へ。町営バスで天狗平の飯豊山荘へ。 飯豊山荘は入口がわかり難くバスを降りた登山者たちは皆うろうろ。それというのも手前の建物に入口があるが誰もおらず、声をかけてもシンとしている。やっと奥の石積みの陰に階段があり、そこが正式の玄関とわかるまでやや時間がかかった。 夕食はご飯もおいしく、いわなの塩焼きなどのおかずもよく妻も私も大満足。 7月30日 朝早い出発なので朝食としておむすび一人二個を前夜渡される。また、行動食用にさらにおむすび一人二個を頼んだのは失敗。梅干入りのおむすびと、おかずに漬物と焼魚がついて思った以上に満足だったがおむすびが大きくて重く、妻と「一人一個でよかったね」と話す。つまり朝食のうち一個を食べ、残りの一個を行動食にすれば十分だった。結局残ったおむすびは門内小屋での夕食と翌日の朝食になった。 5.05、飯豊山荘を出発。5分ほど歩いて橋を渡った右手が梶川尾根の登山口。最初から急な登りが続く。途中スラブ状の岩をロープ頼りに登るところもあった。 天気は雲は多いものの悪くはない。ただ山の上には雲がかかっている。 7.50、湯沢峰に着く。雪をたっぷり残している石転び沢上方に明日通過する梅花皮(かいらぎ)小屋が雲の切れ目に見えた。8.10出。 1時間ほど登ったところに高さ1.5mほどの下部がえぐれた段差が現れた。左右を見ても適当な足場もなく、我々を追い抜いていった人たちはどうやって越えたのかと思う。まず私が空身で腕力を使ってよじ登り、妻にザックを持ち上げてもらう。20Kgを越えるザックを必死で持ち上げる妻、身体をできるだけ低くしてザックをつかみひきずり上げる。次に妻のザックを上げ、最後に妻に足を段差の途中に突っ張らせて手をつかんでひっぱり上げた。 急な登りはさらに続く。右上に目指す梶川峰が高く見える。 9.30、滝見場着。10.45五郎清水着。ここで30分の大休止をとる。 ロープがあるザレた岩場を登ると4,5本のダケカンバが現れ、そこから45分、13時に梶川峰に登り着いた。またまた30分の大休止。今日は門内小屋泊まりと決めたので気が楽になった。 ここからは草原の登りが続く。ニッコウキスゲやヤナギランなどの花々が出迎えてくれた。 14.45、稜線上の扇ノ地紙に到着。しばらく行くと霧の中から門内小屋が現れた。 15.15、門内小屋に到着。小屋は外装は新しいが中は古く狭い。しかし他の山域に比べて劣るわけではない。ただ床が湿っている。小屋番の話では昨日は風雨が激しく、梅花皮小屋に向かう登山者と天狗平へ下山する登山者50人ほどがびしょ濡れでたどり着きそのまま宿泊、干した雨具と窓の隙間から吹き込んだ雨で濡れてしまい、出入り口も窓も朝から開け放しているが乾ききらないと恐縮していた。我々はテントマットを敷き詰めたので問題はないが、それを持たない同宿の女性二人と単独の男性はやや不快だったかもしれない。それにしてもこの小屋に50人が宿泊とは、すし詰め状態だっただろう。 さてまずは水汲み。アタックザックにペットボトルなどをつめ、目印の赤い旗に導かれて斜面を下り5分ほどで雪渓末端の水場に着く。水は豊富で5リットルを確保。 写真は水場 夕方ブロッケンが出たと小屋番が教えてくれた。さっそく妻と二人の影を写真に撮る。 門内小屋でおもしろいのはトイレ。大を使用したら必ず自転車こぎをさせられる。 なぜかと言えば 夕食は飯豊山荘から持参したおむすびをお湯で柔らかくし、まぶし用に持ってきたうなぎを入れてうなぎおかゆを作る。 18時に寝る。夜中に外へ出てみると満天の星空。下界の灯も左右に見える。 7月31日 4時起床。残りのおむすびをトマトのリゾットに使用。快晴。 5.50、門内小屋を出発。暑い日になりそうだ。 北股岳に7.10着。はるかに大日岳と飯豊本山が見える。今日は本山小屋まで行く予定。 10分休んで出発。ヒナウスユキソウ発見。 日本には数種類のウスユキソウがあるがヨーロッパにはただ一種類、エーデルワイスだけ。 ここからはマツムシソウやクルマユリなどの花々もニッコウキスゲの群落に加わる。 7.40、梅花皮(かいらぎ)小屋に到着。小屋は大きく、中も新しくてきれい。トイレも水洗。 水場も30mほどの近さ。水も豊富。泊まる登山者が多いのもわかる。 梅花皮小屋を8.10に出て梅花皮岳、烏帽子岳と越えて行く。写真はハクサンシャクナゲ 道が上下に分れるが、上方へのザレた岩を登る。その先が御手洗ノ池だった。11.10着。 写真は池を振り返って見たところ。 ここからは数ヶ所雪の上を歩く。 11.55、天狗の庭に着く。テントでも張りたい場所だ。もちろん禁止。 やっと御西小屋が見えた。右へ行くと飯豊の最高峰大日岳(2128m)、本山(2102m)へは左へ行く。 13.30、御西小屋着。小屋は新しくてきれいだが小さい。室内中央には18cm角の柱2本が並びその間には筋交いがある。だから使えるスペースは狭い。2階も同じだとのこと。こんなに頑丈にしなければならない場所に建っているということか。 入口の土間上にはトイレの水洗用の配管が走っている。とにかくコンパクトに造られた小屋だ。小屋番からインスタントコーヒーをごちそうになる。 14.10、小屋をあとにする。しばらく行くと右に水場への道が分かれる。小屋番の話では足場はよくないとのこと。 ニッコウキスゲの原を行く。遠くに見える右の山が飯豊本山。 15.00、玄山道分岐着。右手の稜線上にある本山小屋へは本山に登らず直接行く巻き道がある。それをたどるパーティーもみかけた。 写真右が飯豊本山。左のピークまでは20分の登り。本山に16.15、小屋には16.30着。 小屋に着いたら私はまず水取り。アタックザックにペットボトルやぺちゃんこ水筒、計5リットル分の容器を詰めて出かける。切合(きりあわせ)方面へ5分ほど行くと標識がある。標識に従い左へ行けばすぐにテント場。その先から斜面を5分ほど左に巻き気味に下って行くと水場。水はいくつかの細い流れで岩を落ちているが岩の下もスペースがないのでカップなどの容器を持って行くと良い。 結局水汲み時間も入れて往復30分かかった。 本山小屋は宿泊者が多い。壁におよそ60cm間隔に番号が貼られていて我々は2階の58,59番のスペースを与えられる。1階は朝の炊事スペースとしてなるべく空けておくのだそうだ。起床時間がまちまちの登山者への小屋番の配慮が感じられる。私たちの右隣は中年女性3人グループ、左は女子高校生4人グループ。小屋番が私に「旦那さんは奥さんの右に寝て下さい」と注文。若き女性たちの気持を考えてのことか。 私はかなり疲労しており、せっかく妻が作った夕食のカレーものどを通らず、コンデンスミルクをお湯で溶かして飲み早々にシュラフにもぐりこむ。 8月1日 我々は今日は4時間先の三國小屋泊とし、食糧をできるだけ消費して軽量化、明日下山することにしたのでほとんどの登山者が出発するころ起きる。隣の高校生はまだ寝ているので1階で朝食とする。綾子はごはんとスープ、私は昨日残したカレーで朝食をすませる。6.20、出発。 今日の天気はあまり良くない。御秘所の岩場を慎重に通過する。岩場を通過してほっとして歩いていると左の岩陰に誰かいる。どきっとして見ると赤い頭巾を被った上半身だけのお地蔵さん。等身大なので不気味だ。霧がただよっているからなおさらだ。 草履塚のピークに8.15着、15分で切合(きりあわせ)小屋に着いた。 ちょうど新しい小屋を建設中。ヘリコプターが二人の作業員を運んできたが、ホバリングしている機から飛び降りるとは初めて知った。その間、三國への登山道は通行止め。目の前を飛ぶヘリコプターは威圧的で恐ろしい感じだ。 三國小屋で泊まることを小屋番に話したら「あそこは水場が危ないからここでいくらでも汲んでいきなさい」と言われた。事前に調べた結果でもここで補給して行ったほうが良いとのことなので小屋の前のホースからふんだんに溜め桶に流れる水で4リットル補給する。 ゆっくり休んで9.40、切合小屋を後にする。途中から雨になったので雨具を着ける。 シラネアオイが咲いていた。 鎖場を私が下ったとき、先ほどの作業員二人が降りてきた。悪天候でヘリコプターが来ないので歩いて下るのだそうだ。ご苦労様。私の前で格好をつけようとしたのか岩場を勢いよく降りようとして危うく落ちそうになったが掴んでいた鎖にぶら下がって事なきを得た。二人が去ったあと上に残っていた妻には今のはごまかしの悪い見本だと言い、足場と手掛かりを確認しながら慎重に降りるように伝える。12.15、三國小屋に着く。2階のどこでも使ってよいとのこと。 腹ごしらえに餅を焼く。PRIMUSの餅焼き器はすこぶる便利。え!PRIMUSって外国のメーカーじゃないの?餅焼き器なんてあるの?実はトースト用を餅焼きに使用しているのです。 下のメッシュが赤く焼けて上の網に満遍なく熱を広げ、折りたためばぺちゃんこになります。 ついでにガスカートリッジ(ボンベ)下の3本足も着脱簡単で折りたためて便利ですよ。 焼いた餅にとろけるチーズを巻き、海苔で包み醤油をつけて昼食とする。小屋内に餅を焼く臭いが広がる。下から「いい臭いだなー」という声が聞こえてきた。一眠りしたあとの夕食も餅と納豆みそ汁で済ます。みそ汁がおいしい。 門内小屋で同宿だった女性二人も着いた。彼女たちは御西小屋に泊まり大日岳を往復したのだろう。彼女たちと他の登山者との会話をなにげなく聞いていると北アルプスの三俣蓮華の話になった。そこで私が3年前に友人の鍛鉄工芸家が作った雷鳥像を三俣山荘に上げるのにつきあった話をすると女性の一人が「え~!」と突拍子もない声をあげ「では建築家の・・・」という。そのとき三俣山荘経営者の次男が営む雲ノ平山荘も訪れ、まだ登山者も少ない時期だったのでスタッフたちとも夜まで話をしたのだが、そこにアルバイトの彼女もいたと言う。63年生きていると、こういうことには数多く遭遇するが、しかしよく考えてみると不思議なことだ。 8月2日 今日は10時半のバスに乗るために4時前に起床。いつものようにコーヒーを飲んでからシチューを作り鍋に残ったのをパンで拭き取りながら食べていると隣の夫婦が感心したように見ている。そういえば皆きわめてあっさりした食事のようで、我々のようには手のこんだことをしていない。食前のコーヒーから食後のお茶までを手早くすませるのは幕営山行を数多くしてきたからだが、逆に妻は他の登山者の食事を初めて見てそれなりに学ぶ事があったようだ。 女性達や他の登山者がいない。荷物はまだあるので水取りに行ったのだろう。5.10、出発。 最初から岩場の通過となる。昨日の雨で濡れているので慎重に歩く。途中に左下の水場へのルートが岩にペンキで標されていた。まっすぐには赤い×印が岩上に書いてある。下山ルートはやや右を巻けということらしいが判り難い。水場がはるか下の雪渓だとすると大変な労力を要する。斜面も急で慣れないと恐いだろう。重くても切合での給水は正解だ。 5.47、剣が峰着。とにかく岩場が続くので緊張する。鎖場も2ヶ所ある。やっと普通の山道となり6.30、地蔵岳への分岐に着く。ここで休んだが10分下に地蔵清水があった。登るときにはここで給水していくのがよいと思う。(注:後から得た情報では地蔵清水は涸れているとのこと。私は確認していないのでこのルートの水場については事前に調べて下さい) 横峰小屋跡、笹平、上十五里、中十五里、下十五里と下るうちに沢音も大きくなり暑さが増し、蝉の声があたりを包む。 9.15、樹齢400年の杉の木が立つ御沢におりた。川の水で汗を拭く。 たっぷり30分休んだがバス停までまだ2Kmあることがわかり急いで出発。川沿いの平坦で歩きやすい道なので日常に近いスピードで歩ける。途中の飯豊鉱泉は廃業しており、川入の民宿も淋しげに感じた。バス停は集落を抜けた先にあった。10.15着。乗客は途中で抜かれた男性二人と地元のおばさん一人。 我々はバスで20分先の「いいでのゆ」で下車、2時間後に「いいでのゆ」から出るバスで山都にむかうことにしているが二人の男性も同じだった。入浴料は500円。 温泉に入り、そばと田楽を食べ、アイスクリームをなめながらバスを待つ。このような施設は今は各地にあるが、ここはごく普通。食事も施設のできあいで期待しないほうが良い。 13.33、山都発の電車で会津若松へ。ところがここ始発の快速が車両故障で出発できず。結局車両交換して40分後に出発。 郡山で夕食をすませようと、新幹線改札側のレストラン街にある湖穂里(こおり)という日本料理店にはいる。店員は皆着物姿で落ち着いた雰囲気。とった天ざる蕎麦がおいしかった。1000円の値段も高くは感じない。聞けば山都の蕎麦とのこと。これで今山行も気分よく終れた。
by amanojakusan
| 2006-08-03 17:07
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Comments(2)
天野さん貴重な登山映像を公開下さりありがとうございます。
すごいですネ!感動しました。 御夫婦仲睦まじく、助け合いながら、登山されている姿が思い浮かべられ、又荘厳な日の出や雲海、青空と花畑の稜線等、自然の中に三昧の境地を悟られた姿が感じられ深く感動しました。
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amanojakusan at 2006-08-11 05:58
コメントありがとうございます。45年間、色々な状況下の山を歩いて来ましたが、振り返ってみるとその経験から得たものは、人間は自然体で生きるのが一番ということです。自分に素直に振舞うということでしょうか。
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