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by amanojakusan
| 2008-02-28 20:19
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by amanojakusan
| 2008-02-26 11:28
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2月23日、妻の休暇と私の時間がとれる日がやっと重なり、久しぶりに山荘へ妻と行く。
長坂のホームセンターを視察した後、くのパンでパンを買い、中村農場で卵を買って細かい雪が降りしきる中、11時に山荘に到着。幸い先日の雪かきをして以来あまり積もっておらず、そのまま脇道に車を入れる。 早速ストーブを焚く。午後には室温22度になった。 2月24日、ときおり日は射すが、朝から風が強く地吹雪が激しい。今回山スキーの道具一式を持ってきたので歩くスキーを楽しむことにした。何年ぶりかでスキーをはいた。 ![]() スキー板の裏にはナイロンシールが貼り付けてある。これで前へは滑るが後ろへは滑らないので歩くことができる。踵は固定することも上がるようにすることもできる。歩くときには当然上がるようにする。 樹林を抜けて平原に出ると強風に見舞われた。 ![]() 最初は調子をとりもどせず、スキー板が雪面から離れて歩を進めるたびにバタバタしていたが、やがて足を雪面と平行に蹴り出す要領がよみがえり、スキー板も雪面から離れず一歩一歩滑っていくようになった。 こんな風の中を歩いていると冬山の記憶がよみがえるが、さてこの厳しい環境に再び身を置く覚悟があるかどうか。 午後3時半、帰宅準備を終え山荘を後にする。今回も二日しか休みがとれない妻は名残り惜しそうだ。 強風で交通機関が影響を受けているとのテレビ情報から高速道も横風が強いと判断、危険を避けるため、山あいに入る手前にある勝沼ICまで20号を行くことにした。 小淵沢から下るには、いつもは県道七里岩ラインを韮崎まで走るが、途中凍結している怖れがあるので、今日は南斜面にある道を下って釜無川沿いを行く国道20号に出た。 韮崎から先もいつもの山の手通りにはまわらず20号をそのまま行く。しかし甲府市内で渋滞しており、市街を抜けるのにかなり時間がかかった。市街北側を通る山の手通りを行けばよかった。 府中ー調布間の事故渋滞を避け、国立府中ICで降りて午後7時半に帰宅した。 ▲
by amanojakusan
| 2008-02-25 05:54
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by amanojakusan
| 2008-02-22 11:30
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by amanojakusan
| 2008-02-21 18:37
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2月17日は富山のホテルで一泊、ツインルームに一人ずつという贅沢な部屋割りだった。
2月18日、富山といえば路面電車で有名だ。朝食後に早速見学に行ってみた。 ![]() 床も低くて乗り降りしやすそう。 8時半貸切バスで五箇山に向う。合掌造りの岩瀬家を見学。奥様がこきりこを歌ってくれた。 ![]() そのときに使用した楽器。 ![]() 囲炉裏には薬湯がかかっていた。 ![]() そのあと相の倉部落を訪れる。 ![]() こんな山奥の雪深いところによく住む気になったものだというのが失礼ながら実感だった。 富山市にもどり、午後に用事がある上野教授と別れ、ますの寿司で昼食の後職藝学院を訪ねた。 マイスターの島崎棟梁の案内で生徒たちが大工技術や造園技術の実習中のところを見てまわる。全て体育館のような教室内でできる。池袋のせまい敷地にある建築カレッジの関係者はうらやましがっていたが、千葉からきているという女子の研修生を勧誘していたのには皆大笑い。建物の何棟かは実習生が実技授業で造ったのだそうだ。 飛行機の時間がせまる中、島崎棟梁の案内で八尾に向う。職藝学院の生徒たちが金物をいっさい使わずに建てた資料館を見学の後、市内のせまい道を大型バスで縫うように行き、曳山資料館前にバスを停めて電柱を無くした街並をあわただしく見学する。 ![]() 富山空港で待っていると、ロビーのテレビに羽田と成田でレーダートラブルとのニュース速報。 また欠航? 今度はまもなく復旧して午後6時10分の便で無事帰京できた。 ▲
by amanojakusan
| 2008-02-19 21:32
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まずは伽藍配置をご覧いただきたい。(研修旅行の資料「万華鏡」から拝借)
![]() 手前から総門、山門、仏殿、法堂と一直線に並び、山門と仏殿との間の左右に禅堂と大庫裏がある。実は総門と山門の間の左右には七間浄頭(じんずう=便所)と浴室があったことがわかっているので近く復元されることになっている。山門から左右に延びた回廊の両端にそれらにつながる部分が切妻となって見えている。 仏殿の屋根だけが白っぽく見えるのは、この建物が瓦葺きではなく、瓦の形をした鉛で葺いてあるからだ。これは雪でずり落ちないように配慮されたとのことである。 三代藩主、前田利常が大工頭山上善右衛門嘉廣に造らせ1663年に完成したが、1746年の浴室からの出火で回廊でつながっていた山門、七間浄頭、禅堂、鐘楼が焼失した。山門以外はただちに再建され、山門も70年後の1820年に24代山上善右衛門吉順の手で再建された。 しかし明治の廃藩置県や廃仏毀釈で荒廃し、戦後の農地解放などで寺地も農地となって縮小されてしまった。それでも仏殿は明治42年に、総門と法堂は昭和3年に旧国宝に指定されていた。 昭和60年(1985年)に文化庁、県、市などによる7億円と5年の予定での解体修理工事が始まったが、工事が進むにつれて次々と大きな発見が続き、ついに創建時の姿が判明した。そこで全伽藍を復元することになり、23億円と10年の歳月をかけて上野教授のもとで平成7年(1995年)に今の形まで復元された。 私は平成15年(2003年)の9月に訪れて個々の建物の完成度の高さと配置のバランスの良さに驚かされた。正直に言えば奈良や京都の数多くの神社仏閣をも凌いでおり、世界的にも高い評価が与えられてもよい伽藍だと思っている。 また、この寺と長さ872mの八丁道でつながっている、やはり利常によって造られた2代藩主前田利長の大きな墓所も一見の価値がある。 雪の降る中、瑞龍寺前でバスを降りる。総門が迎えてくれた。その向こうに山門がのぞいている。 ![]() 門をくぐるとき、建物に入るときは必ず屋根からの落雪に注意しながらの見学だった。 総門から山門を見る。 ![]() 山門の扉を受ける右側の木は木目を見て外側に反るおそれがあると判断したのかギザギザの材(専門用語でこれ何て言ったっけ?カタカナの感じは浮かぶのだが思い出せない!)で予め柱とつなげて引っ張っている。その部分を上野教授が指して教えてくれた。 ![]() 山門から見た仏殿。山上善右衛門嘉廣の最高傑作。屋根は鉛瓦葺きである。 ![]() 仏殿内部の天井。全て欅材である。 ![]() なんとも異国情緒豊かな達磨である。 ![]() 各建物の柱の下2mの地中に大きな石が埋められているのが発見され建物や伽藍の配置がわかった。また、江戸時代の詳しい資料や他の建物に転用されていた部材も次々と見つかったので復元が可能になった。 何回でも訪れてみたいお寺だ。 ▲
by amanojakusan
| 2008-02-19 13:06
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毎年2月に実施されている東京土建建築カレッジによる研修旅行、昨年は奈良の唐招提寺、薬師寺講堂、京都の大徳寺玉林院の復元や改修現場を訪れた。
今回は富山高岡の瑞龍寺(ずいりゅうじ)、合掌造りとこきりこ節で有名な五箇山(ごかやま)、建築カレッジと同じく若者が建築技術を習得する場の職藝学院、おわら風の盆で有名な八尾(やつお)の街造りなどを見学する旅である。 実は人気の研修旅行なのですぐに定員になってしまうため、設計分会の若者の枠を確保しておこうとAさんと二人で申し込んでおいた。旅行費用は39000円。40才以下の場合は分会から半額ほど補助することにしたのだが名乗り出る人なし。どうも17日(日)、18日(月)と平日にかかっているために、まだ独立していない若者たちには時間がとりにくいようだ。結局Aさんと二人で参加した。 2月17日、朝7時半、羽田第2ターミナルに集合。参加者36名をみると一昨年、昨年にも会った常連が多い。 富山行きの便は降雪のため欠航になったので急遽東京駅に向い、上越新幹線、北越急行(通称ほくほく線)、北陸線経由で富山に着いたのは予定より5時間遅れの午後2時40分だった。 富山駅にはチャーターしたバスが待っていた。実は今日は五箇山と瑞龍寺を訪ねる予定だったが五箇山は明日に回し、瑞龍寺だけを訪れることになった。富山空港で我々を待っていた職藝学院の上野幸夫教授も駅に駆けつけ同乗、3時に出発する。 上野教授は10年に渡った瑞龍寺の補修復元に携わったばかりでなく、職藝学院の生徒たちと旧家などの建物の調査や保存復元、八尾の町並み整備にも力を注いできた人なので今回の見学会はきわめて有意義なものになった。 ▲
by amanojakusan
| 2008-02-19 10:05
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2月14日、前日に東京土建渋谷支部設計分会の表参道ヒルズでの新年会を終わらせたので、骨休みに小淵沢に向う。
途中、長坂にあるホームセンターでポリカーボネート製の雪かき用スコップを購入する。すでに買ってあるアルミ製のスコップより掬う部分が広いので効率よく作業ができるし木製のバルコニーを傷めない。 また、着いた早々から食事の仕度はしたくないので「くのパン」に寄って昼食用のサンドイッチも買った。 着いてみるとやはり山荘までの道の入り口に除雪した雪が積みあがっている。下の方は凍っているのでポリカーボネート製スコップでは無理だ。車に乗せておいた長靴に履き替え、山荘までアルミ製スコップをとりに行く。今度からこのスコップを常時車に乗せておこう。 ポリカーボネート製スコップの効率のよさに気を良くして先日より奥まで除雪し車をバックで入れる。停めたところから試しに前へ出ようとしたがスリップして出ない。後退はするが前へは行かない。停めた所はやや下りになっているのだがわずかな傾斜なので気にもとめていなかった。タイヤの下を除雪してみたが効果はない。 1時間ほど奮闘したが、疲れたので昼食にする。私は味噌汁が好きだ。煮干でダシをとり、持ってきた豆腐と白菜をいれ秋田から取り寄せている味噌を入れてできあがり。サンドイッチをグリルで温め、コーヒーと牛乳と味噌汁で昼食。変? 食後JAFに電話する。1時間ほどで小型の4輪駆動車が来た。マイナスドライバーでプリウスのバンパーにある小さな円形部分をはずすと穴が現れた。へ~!今まで何だろうと思っていた。トランクにはここにはめ込むフックがあることも初めて知った。フックをねじ込みロープをつなぐ。私はプリウスの運転席に座ってアクセルを軽く踏む。牽引して脱出、入り口近くまで行って無事終了。 敷地をみるとあちらこちらに雪を掘り返したあとがある。そして周辺には足跡が残されていた。足跡のひとつをのぞきこんでみると蹄の跡があった。イノシシ? 夜はいつものようにロフトの天窓の下に布団を敷く。仰向けになり電灯を消すとすぐに目が慣れてコナラの梢の先に双子座の二つの星が現れた。 天窓の隅がいやに明るい。起き上がって見ると半月が白い光を放っていた。再び横になって見上げていると月光に白く浮かび上がった雲が西から流れてきて星の姿を隠していく。その雲を背景にコナラの枝を広げた姿が浮かびあがる。気が付くとコナラの幹が左右にゆっくりと揺れている。上空は風が強そうだ。 その雲が通り過ぎたところから再び星が現れた。 2月15日、5時に目がさめる。寝るときに頭上にあった双子座の二つの星やオリオン座の肩にあるベテルギュースの代わりに牛飼い座のアークツルスが見える。 そのとき何かが横切った。流れ星だ。目には両端が鋭く尖った細長い紡錘型の軌跡だけが残った。 星がひとつ、南から北にゆっくりとまっすぐ移動して行くのを発見。人工衛星だ。人工衛星なんて何十年ぶりに見ただろうか。しかしそのスピードはだいたい覚えている。点滅もないので飛行機ではない。明るさに変化がないのは回転せず姿勢が安定していることを意味する。そして南から北に移動しているのは地球の自転を利用して全地点の上空を通るためだ。探査か偵察用の衛星だ。時刻は5時10分だった。 朝食後に散歩に出た。正面に鳳凰三山、北岳、甲斐駒の山々を見ながらアスファルト道を下っていく。 3時半に山荘を出る。自宅に着くと妻からの贈り物、バレンタインデーのチョコレートが待っていた。 ▲
by amanojakusan
| 2008-02-16 07:45
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八ヶ岳の山小屋で一酸化炭素中毒事故が発生した。換気用の窓が雪で塞がった状態で灯油ストーブを使用したためらしい。
テントでもこのような危険は存在する。特に冬山では密閉されたテント内でコンロを使用することが多い。しかしきちんと対処すればこのような事故は起こらない。 登場するのがローソク。火をつけて立てておく。そして時々炎に注意する。スーっと上に伸びていた炎が小さく豆粒のようになっていたら酸欠だ。急いでベンチレーターを開けて換気をする。 きちんと訓練を積んだ登山者にとっては常識である。 ▲
by amanojakusan
| 2008-02-11 18:36
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